プロフィール

2016年8月16日火曜日

心で突いて、心で受けて、心で蹴る

☆ 師に足元を照らしていただき、
  仏師の出発点に立てた ☆

江里 康慧(仏師)

※『致知』2016年9月号【最新号】
※特集「恩を知り 恩に報いる」P8

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──師匠からは、どのようなことを
  教わりましたか。


師匠の松久朋琳先生は
その頃、60代でしたが、
京都を代表する大仏師とは思えないほど
本当に穏やかな人で、
厳しく叱られたという記憶はありません。

弟子としてお仕えした3年間は、
朝から晩まで
ひたすら制作三昧の日々でしたが、
だからといって、彫り方をいちいち
手ほどきしてくださるわけでは
ありません。

師匠の仕草や何気ない言葉を受け止めて、
自分で努力して成長するしかないのです。

こいつは人間や技がどう変わっただろうか、
と見られている厳しさと緊張感は
常にありましたね。
  

──人間的な成長を
  重視していらっしゃったのですか。


その頃の私は、仏教を学ぶことや
人格を磨くことなど意識することなく
生きていましたが、
そんな私に対する戒めもあったのか、
師匠は常々

「仏師は美術家であってはいけない」

とおっしゃっていました。
 
鎌倉時代以前の古い仏像を見て
心を揺さぶられ、惹きつけられるのは、
仏師がそれを命じた人の願いを
しっかり受け止めて
形にしていったからなんですね。

技術だけに頼って
立派な仏像を造ろうと思っても
絶対に造れるものではない。

理屈では現代の技術なら
古典を超える作品が生まれても
おかしくないはずなのに、
その崇高さを表現するのは
容易ではないわけです。


  (中略)

 
師匠は、

「造るという意識を捨てよ。
 仏は木の中に既におわします。
 仏師はその周囲にへばりついた
 余分なものを取り去るだけだ」

ともおっしゃっていました。
 
これも最初は何のことか
さっぱり分かりませんでしたが、
仏師としての経験を積む中で……


☆☆☆

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