プロフィール

2015年9月17日木曜日

今日の言葉 稽古

石黒ブログを読んで頂けるご縁に感謝致します。

いつもありがとうございます。



☆☆☆

失敗が何度も続くといやになってしまうし、
 100回失敗してもやるなんてことはなかなかないよね。

 しかし、一万回失敗してもめげなかった人がいるんだよ。
 そして、最後には成功した。

 そう、エジソンだね。

 今日はこの人の生涯を紹介しよう。

 エジソンはアメリカ人。
 小学生のときのエジソンは、いわゆる
「落ちこぼれ」として扱われていた。

 授業中、たくさんの質問はするのだけれど、
 どれも授業とは関係ないことばかりで、
 教師も怒ってしまっていた。
 父親も彼のことは見捨てていたんだ。

 結局、3カ月で小学校をやめてしまう。
 そのあとは、母親が勉強を教えたんだ。
 母親は元教師だったんだね。

 母親は、エジソンが特に興味を持っている
 科学の分野を中心に教えていき、
 彼は科学に対して豊富な知識を持った。
 さらに母親は地下室に「実験室」も造ってあげたんだ。
 小さなものだったけどね。


 そこで使う実験器具や薬品を買うのに
 アルバイトもした。

 その後、15歳のとき、大きな出逢いがあった。
 駅長さんの子どもが汽車にひかれそうになったのを
 助けた縁で、駅長さんから電信技術を
 教えてもらうことになるんだよ。

 そして、この技術をもとに働き始め、
 その仕事をしながら実験や発明に取り組んでいく。
 不思議な縁だよね。

 そして、23歳で発明家として独立。
 数々の発明で有名になった。

 そして、29歳で研究所を設立し、
 さらに発明に没頭していき、
 生涯に1000を越える特許を
 取得することになるんだよ。

 実は、エジソンは10代の初め、
 原因ははっきりしないのだけど、
 耳がほとんど聞こえなくなってしまったんだ。

 しかし、そのとき言ったことがすごい。

「これで、研究に集中できる」
「これは、『無形の宝物』だ」って。

 すごい言葉だよなぁ。
 まったくめげていない。

 それどころか研究には有利だっていうんだ。
 多くの人は落胆してしまうよなぁ。

 後に蓄音機を発明したときは、
 機械を載せたテーブルにかじりついて、
 頭蓋骨を通してその振動で音を聞いたというんだ。
 すさまじいね。

 そして、とても有名になった
「白熱電球」の発明だ。

 電流がフィラメントを通ると、熱と光を発する。
 この性質を利用したのが白熱電球。

 でも、そのフィラメントが
 すぐに溶けてしまったり、
 弱かったりしてなかなかうまくいかなかったんだね。

 各種金属や墨、糸など、ありとあらゆるものを
 世界中から探してきて、
 実験してみたけどうまくいかない。
「失敗」続きだ。

 そんなとき、エジソンはちっとも落胆せずに、
「また、よくない材料を一つ見つけた。
 これも大きな成果だ。さぁ、次!」
 と言って、実験を続けていったというんだ。

「失敗」は、見方を変えれば
「間違いの発見」でもあるというわけだね。

 こうして、1万回の「失敗」にも
 めげずに実験を続け、
 ついに白熱電球にふさわしいフィラメントの
 材料を見つけたんだ。

 それは、日本の竹だったんだ。
 中でも京都の竹がいちばんいいことがわかった。

 このエジソンの発明は、
 人々の暮らしをすっかり変えた。
 夜も明るく暮らせるようになったわけだからね。

 エジソンの亡くなった日は、
 アメリカ中が数分間明かりを消した
 というエピソードも残っているね。

「失敗続きでさんざんな人生だった」
「回り道ばっかりでひどかった」
 と言うことだってできるわけだよね。

 実際、この頃の発明家には、訴訟に負けて
 自殺してしまったり、破産して
 立ち直れなかったりした人も多くいたんだ。
 決して恵まれた状況とは言えなかったんだね。

 でも、エジソンは
「仕事ほど人間を幸せにするものはない」
 という言葉を残している。

 また、有名な
「99%の努力と1%の閃ひらめき」
 なんて言葉も残している。

 彼の生涯を見ると、
 閃きに頼っている余地なんかなくて、
「失敗しても失敗してもどんどん実験を
 重ねていくしかないんだ」
 と言っているかのようだね。


 ◆偉人伝って、こんなに面白かったんだ!
 『子どもたちが目を輝かせて聞く偉人の話』(平光雄・著)


☆☆☆



拳立て六十三回です。




今日一日、皆様が無事であることを神にお祈り致します。




押忍 石黒康之

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