プロフィール

2015年9月21日月曜日

今日の言葉 稽古

石黒ブログを読んで頂けるご縁に感謝致します。

いつもありがとうございます。





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  【白隠禅師の教え 四弘誓願】
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 白隠禅師の教えの最後は
 四弘誓願(しぐせいがん)です。

 衆生無辺誓願度(しゅじょうむへんせいがんど)
  —地上にいるあらゆる生き物をすべて救済するという誓願

 煩悩無尽誓願断(ぼんのうむじんせいがんだん)
  —煩悩は無尽だが、すべて断つという誓願

 法門無量誓願学(ほうもんむりょうせいがんがく)
  —法門は無量だが、すべて学ぼうという誓願

 仏道無上誓願成(ぶつどうむじょうせいがんじょう)
  —仏の道は無上だが、必ず成し遂げようという誓願


 これはいろいろな訳をしている人がありますが、
 要するに

「人々の苦しみというのは尽きることはない。
 だから自分も修行はこれで終わりということはないんだ」

 といっているのです。

 生身の人間が現実に苦しんでいる、
 そういう人がいる限り、どこまでも修行を続けていく
 というのが白隠禅師のお考えなのです。

 この中に「法門無量」とありますが、
 白隠禅師という方は生涯をかけて
 膨大な書物を書き残しています。

 これは生涯をかけて学び通していった証です。

 そして「仏道無上」ですから、
 もうこれでいいという終わりはない。
 だから、ずうっと深化し続けていったのです。

 そういう生涯を貫いたのが白隠禅師です。
 そこに白隠禅師の素晴らしさがあります。

 白隠禅師は総数が把握できないほどの
 絵画も書き残しています。
 理解し難い絵もあればまるで漫画のような絵もあります。

 見つかっているものだけでも何万点もあるのですが、
 専門家に聞くとまだまだ未発見のものが
 たくさん出てくるだろうということです。

 これらの絵もおおよそ
 60、70以降に描き始めています。
 つまり、民衆に目が行き始めた頃です。

 そう考えると白隠禅師は、民衆には楽しみも少ないし、
 少しでも自らの教えを広めたいという一心で、
 これほど膨大な絵を描き続けたのではないか
 という気がします。

 まさしく「衆生無辺誓願度」という
 思いだったのではないでしょうか。

 これが白隠禅師のご一生涯、
 特にこの地獄についての私の見方です。

 これは松原泰道先生が

「自分が死んだ日は彼の土でする説法の初日だ」
 あるいは
「地獄の説法の第一日目です」

 といわれたのと同じことだと思います。


 南無地獄大菩薩というのは面白い言葉です。
 驚くような言葉です。

 地獄から逃れるだけじゃない、
 地獄に下りていくんだといっているのです。

 白隠フォーラムという催しがあって、
 私も何回か話をしています。

 過日はこの南無地獄大菩薩に触れて、
 現代も地獄であると気がついている宗教家は
 何人いるのかという話をしました。

 平成の時代は空襲もないし、文化も発達しているし、
 平和な時代といっていいでしょう。

 しかし、ご承知のとおり、
 年間に自殺する人がようやく3万人を切ったとは言え、
 まだ2万何千人もいます。

 いじめとか、登校拒否だとか、
 引きこもりだというような問題を見ると、
 これはまさに地獄です。

 そういう地獄に自ら下りていって
 何とかしようという気持ちが
 南無地獄大菩薩という言葉ではないでしょうか。

 その意味では、今もなお白隠禅師の教えが
 求められていると私は思っています。


☆☆☆

致知より



拳立て六十八回です。




今日一日、皆様が無事であることを神にお祈り致します。



押忍 石黒康之

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